ひろぴー、宗教を語る・・・ヽ(´_`)ノ
9月12日(金)
(書き出し)
えー、
あんまり、ネット上で立ち入ったことを
書きすぎると、必ず炎上を招く話題の1つ
がぁ、
宗教・・・ヽ(;´Д`)ノ
の話題なんでしがぁ、仕事終わり、友人が
訪ねてきてぇ、ちょっと宗教の話題になった
んでしがぁ、ひろぴー、この話題というか、
テーマについてはぁ、
若い時から、結構、
思索してみてるよぉ〜ヽ(´_`)ノ
大体、全てにおいてそーみたいなんでし
がぁ、まず、過酷な環境に置かれた時、
人間、誰しも大いに悩むもんなんでしがぁ、
その際、
精神(魂)の何らかの救済
を求めるぅ〜ヽ(´_`)ノ
でぇ、そん時にぃ、死後の世界の有る無し
の想定の仕方によって、2タイプの形式に
分かれるよーなんでしがぁ、ま、でも、その
2つのどちらにも共通するのはぁ、
その過酷な状況を、精神修養に
よって、何らかの達観を得た人
がぁ、開祖(教祖)になるぅ〜ヽ(´_`)ノ
んでもってぇ、その人のコトバを聞く
ためと言うかぁ、触れるコトでその達観
を疑似体験、あるいは自らが同じよーな
修養(修行)を行うコトでぇ、体験して
同様の達観を得よーとする・・と。んで、
そーやって、人が集うコトで
「衆」→「宗」となってぇ、
救済を求める集団が形成されるぅヽ(´_`)ノ
この流れは、概ね、どの宗教にも共通
のよーなんでしわぁ〜ヽ(´_`)ノ で、
その集団の内部構造によってはぁ、
出家して修行に励む人員(´_`)
在家で教えに従う人員(´_`)
教えについてはともかく入信してる人員(´_`)
入信の有無はともかく、死後の世界観(浄土)
を信じている人員(´_`)
浄土の有無はともかく、絶対視(超越感)の
観念を持ち合わせてる人員(´_`)
・・に大別できる・・・かなヽ(´_`)ノ
ま、見ての通り、始めに書いてる方ほど、
純化が成されやすいよーに思われるんでし
がぁ、
でもっ(;゜Д゜)
ひろぴー的観測と言うかぁ、コレまでの
事例を分析したところではぁ、
上記のどの段階においてもぉ、
一番初めの初めにぃ、教祖の
示唆する世界観に何らかの歪み
があるとぉ、その宗派はぁ、自ずと
歪み続ける傾向があるぅ〜ヽ(;´Д`)ノ!!
コレは、開祖については当てはまらずに、
その後、教えを継承して行く中でぇ、教祖
と名乗る人物自身が持つ世界観に何らかの
歪みが生ずるコトで、次第に起こっていく
現象らしい・・ッスヽ(;´Д`)ノ
ま、大抵の場合はぁ、一言で言って「欲」
によって歪められるよーなんでしがヽ(;´Д`)ノ
でぇ、そのまま肥大化した宗派に対してぇ、
メディアやネット上、あるいは日常生活に
置いて、批判的なコメントをするとぉ、
炎上・・・を招くぅ〜ヽ(;´Д`)ノ
その炎上の理由はぁ、コレまでにも何回
かは触れたんでしがぁ、「宗(=衆)」で
あることが、その宗教の量的価値だと信じ
ている人達にとってはぁ、
信ずる教義を否定されるコト
がぁ、すなわち、自分たちが
大勢で「乗っている」コトで
保障されてるはずの価値観の
安定性を、揺さぶって危うく
されてる感を抱くぅ〜ヽ(;´Д`)ノ
つまりぃ、自己否定されてる・・と
感じるってコトなヽ(;´Д`)ノ なのでぇ、
その危機を阻止するためにぃ、やっぱ、
集団で、あるいは、その数の
論理を背景にした権力的な力
さへ用いて、批判者に総攻撃を
かけてくるの・・・・・なヽ(;´Д`)ノ
勿論、それは間違った姿勢ではある
んでしがぁ、でも、現代の多くの宗教
がぁ、「数の理論」をバックボーンに
持ってるのは確かなのでぇ、この炎上
(場合によってはテロや戦争)はぁ、
起こるべくして起こる現象・・ヽ(;´Д`)ノ
ってーコトになるの・・・なヽ(;´Д`)ノ
そーなるとぉ、開祖が体感した精神修養
による達観(悟り)についての神秘性、
あるいは、その真理のほどが、どのよー
なモノか・・ってー議論に及ぶ前にぃ、
力による圧殺・黙殺が蔓延って
建設的な議論がなされなくなるぅ〜ヽ(;´Д`)ノ
コレがぁ、現代におけるぅ、宗教問題
になっちゃてる・・とヽ(;´Д`)ノ つまり、
本質論を語る以前の所でぇ、議論や推察さへ
封じられちゃうの・・なヽ(;´Д`)ノ
なのでぇ、ココでもそーなんでしがぁ、
具体的な宗派や教祖名をあげてのお話って、
やっぱ、危ないから、ちょっと
避け気味・・・ヽ(;´Д`)ノ
ではあるけどぉ、でも、ひろぴー、
言いたがり・・ヽ(´_`)ノ なのでぇ、
一見、コトバで仮面を装った風でも、
現時点で感じてる本質的なお話はぁ、
全て、書いてるよぉ〜ヽ(´∀`)ノ!
解決策・・ってーワケでも無いんでしがぁ、
この手の事例って、要はぁ、いくら相手の
集団の非を分析して唱えるよりもぉ、最終的
には、
自分自身が、どー言うスタンス
で、今後の人生を送るか・・ヽ(´_`)ノ
ってー風に視点を変えるコトでぇ、議論
と言うか、先行きを考える際の一定の結論
が得られる・・かなヽ(´_`)ノ だってぇ、
例え歪んでいよーがぁ、その集団の価値観
を「快」と思ってる連中の心根をぉ、
いくら変革させよーと努力する
よりもぉ、自分自身の今後の幸福感
を追究する方がぁ、よっぽど無駄が無い
と言うかぁ、断然、得策ッスもんねぇ〜ヽ(´_`)ノ
そー考えるとぉ、自身に対して、取り組む
べきコトがぁ、実は山積・・ってーコトに
気付くじょぉ〜ヽ(´_`)ノ
あぁ〜あ(;´Д`) ひろぴーもぉ、まだまだ、
やるべきことが、イパーイあるなぁ〜ヽ(;´Д`)ノ
だからこそ、人生、
取り組み甲斐があるん
でしけど・・・ねヽ(´_`)ノ
相手の非を是正するのが先決に思え
ちゃうのはぁ、
実は、自分に対する取り組みが
不十分なときの焦りぃ〜ヽ(;´Д`)ノ
なんだよねぇ〜ヽ(;´Д`)ノ
そんなときほど、歩みを止めてぇ、
自身の心根と対話する必要がある・・
かなヽ(´_`)ノ
ー(結論)ー
人生、人の価値観云々に
かまってるほど、実は長くない〜ヽ(´_`)ノ
今日のひろぴー脳内・・・

開店(回転)
かいてん レシー ト ・・・(;´Д`)
店舗、教室ともリニューアルオープン〜ヽ(´∀`)ノ
(書き出し)
えー、
あんまり、ネット上で立ち入ったことを
書きすぎると、必ず炎上を招く話題の1つ
がぁ、
宗教・・・ヽ(;´Д`)ノ
の話題なんでしがぁ、仕事終わり、友人が
訪ねてきてぇ、ちょっと宗教の話題になった
んでしがぁ、ひろぴー、この話題というか、
テーマについてはぁ、
若い時から、結構、
思索してみてるよぉ〜ヽ(´_`)ノ
大体、全てにおいてそーみたいなんでし
がぁ、まず、過酷な環境に置かれた時、
人間、誰しも大いに悩むもんなんでしがぁ、
その際、
精神(魂)の何らかの救済
を求めるぅ〜ヽ(´_`)ノ
でぇ、そん時にぃ、死後の世界の有る無し
の想定の仕方によって、2タイプの形式に
分かれるよーなんでしがぁ、ま、でも、その
2つのどちらにも共通するのはぁ、
その過酷な状況を、精神修養に
よって、何らかの達観を得た人
がぁ、開祖(教祖)になるぅ〜ヽ(´_`)ノ
んでもってぇ、その人のコトバを聞く
ためと言うかぁ、触れるコトでその達観
を疑似体験、あるいは自らが同じよーな
修養(修行)を行うコトでぇ、体験して
同様の達観を得よーとする・・と。んで、
そーやって、人が集うコトで
「衆」→「宗」となってぇ、
救済を求める集団が形成されるぅヽ(´_`)ノ
この流れは、概ね、どの宗教にも共通
のよーなんでしわぁ〜ヽ(´_`)ノ で、
その集団の内部構造によってはぁ、
出家して修行に励む人員(´_`)
在家で教えに従う人員(´_`)
教えについてはともかく入信してる人員(´_`)
入信の有無はともかく、死後の世界観(浄土)
を信じている人員(´_`)
浄土の有無はともかく、絶対視(超越感)の
観念を持ち合わせてる人員(´_`)
・・に大別できる・・・かなヽ(´_`)ノ
ま、見ての通り、始めに書いてる方ほど、
純化が成されやすいよーに思われるんでし
がぁ、
でもっ(;゜Д゜)
ひろぴー的観測と言うかぁ、コレまでの
事例を分析したところではぁ、
上記のどの段階においてもぉ、
一番初めの初めにぃ、教祖の
示唆する世界観に何らかの歪み
があるとぉ、その宗派はぁ、自ずと
歪み続ける傾向があるぅ〜ヽ(;´Д`)ノ!!
コレは、開祖については当てはまらずに、
その後、教えを継承して行く中でぇ、教祖
と名乗る人物自身が持つ世界観に何らかの
歪みが生ずるコトで、次第に起こっていく
現象らしい・・ッスヽ(;´Д`)ノ
ま、大抵の場合はぁ、一言で言って「欲」
によって歪められるよーなんでしがヽ(;´Д`)ノ
でぇ、そのまま肥大化した宗派に対してぇ、
メディアやネット上、あるいは日常生活に
置いて、批判的なコメントをするとぉ、
炎上・・・を招くぅ〜ヽ(;´Д`)ノ
その炎上の理由はぁ、コレまでにも何回
かは触れたんでしがぁ、「宗(=衆)」で
あることが、その宗教の量的価値だと信じ
ている人達にとってはぁ、
信ずる教義を否定されるコト
がぁ、すなわち、自分たちが
大勢で「乗っている」コトで
保障されてるはずの価値観の
安定性を、揺さぶって危うく
されてる感を抱くぅ〜ヽ(;´Д`)ノ
つまりぃ、自己否定されてる・・と
感じるってコトなヽ(;´Д`)ノ なのでぇ、
その危機を阻止するためにぃ、やっぱ、
集団で、あるいは、その数の
論理を背景にした権力的な力
さへ用いて、批判者に総攻撃を
かけてくるの・・・・・なヽ(;´Д`)ノ
勿論、それは間違った姿勢ではある
んでしがぁ、でも、現代の多くの宗教
がぁ、「数の理論」をバックボーンに
持ってるのは確かなのでぇ、この炎上
(場合によってはテロや戦争)はぁ、
起こるべくして起こる現象・・ヽ(;´Д`)ノ
ってーコトになるの・・・なヽ(;´Д`)ノ
そーなるとぉ、開祖が体感した精神修養
による達観(悟り)についての神秘性、
あるいは、その真理のほどが、どのよー
なモノか・・ってー議論に及ぶ前にぃ、
力による圧殺・黙殺が蔓延って
建設的な議論がなされなくなるぅ〜ヽ(;´Д`)ノ
コレがぁ、現代におけるぅ、宗教問題
になっちゃてる・・とヽ(;´Д`)ノ つまり、
本質論を語る以前の所でぇ、議論や推察さへ
封じられちゃうの・・なヽ(;´Д`)ノ
なのでぇ、ココでもそーなんでしがぁ、
具体的な宗派や教祖名をあげてのお話って、
やっぱ、危ないから、ちょっと
避け気味・・・ヽ(;´Д`)ノ
ではあるけどぉ、でも、ひろぴー、
言いたがり・・ヽ(´_`)ノ なのでぇ、
一見、コトバで仮面を装った風でも、
現時点で感じてる本質的なお話はぁ、
全て、書いてるよぉ〜ヽ(´∀`)ノ!
解決策・・ってーワケでも無いんでしがぁ、
この手の事例って、要はぁ、いくら相手の
集団の非を分析して唱えるよりもぉ、最終的
には、
自分自身が、どー言うスタンス
で、今後の人生を送るか・・ヽ(´_`)ノ
ってー風に視点を変えるコトでぇ、議論
と言うか、先行きを考える際の一定の結論
が得られる・・かなヽ(´_`)ノ だってぇ、
例え歪んでいよーがぁ、その集団の価値観
を「快」と思ってる連中の心根をぉ、
いくら変革させよーと努力する
よりもぉ、自分自身の今後の幸福感
を追究する方がぁ、よっぽど無駄が無い
と言うかぁ、断然、得策ッスもんねぇ〜ヽ(´_`)ノ
そー考えるとぉ、自身に対して、取り組む
べきコトがぁ、実は山積・・ってーコトに
気付くじょぉ〜ヽ(´_`)ノ
あぁ〜あ(;´Д`) ひろぴーもぉ、まだまだ、
やるべきことが、イパーイあるなぁ〜ヽ(;´Д`)ノ
だからこそ、人生、
取り組み甲斐があるん
でしけど・・・ねヽ(´_`)ノ
相手の非を是正するのが先決に思え
ちゃうのはぁ、
実は、自分に対する取り組みが
不十分なときの焦りぃ〜ヽ(;´Д`)ノ
なんだよねぇ〜ヽ(;´Д`)ノ
そんなときほど、歩みを止めてぇ、
自身の心根と対話する必要がある・・
かなヽ(´_`)ノ
ー(結論)ー
人生、人の価値観云々に
かまってるほど、実は長くない〜ヽ(´_`)ノ
今日のひろぴー脳内・・・

開店(回転)
かいてん レシー ト ・・・(;´Д`)
店舗、教室ともリニューアルオープン〜ヽ(´∀`)ノ
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